◆◆◆◆◆
ルイスの部屋を出る前、遥は改めて自分の左手を見下ろした。
その指には、未だ外れない赤い宝石の指輪が光っている。
「……これ、やっぱり目立つな」
遥が小さくぼやくと、ルイスが手袋を差し出した。
「そのための手袋だ。今からは常に着けておくようにしろ。」
遥は手袋を受け取りながら、少し困惑する。
「手袋も悪目立つする気がする。」
ルイスは微かに笑みを浮かべながら言った。
「王家の紋章が刻まれた手袋だ。不審に思っても、無理に外そうとする者はいない」
「まあ、そうだろうけど…」
遥は渋々ながらも、言われた通りに手袋をはめる。
指輪が見えなくなったことに、少しだけ安心する気持ちもあった。だが、元々はルイスの手袋のため、遥の手のサイズには合わずブカブカしている。
「ブカブカしてる」
「遥のサイズにあった手袋を用意する。それまでは我慢してくれ。」
「分かった……手袋を嵌めている理由を尋ねられたら?」
「手の火傷を隠すためだと言えばいい。」
「……火傷ねぇ。」
遥は苦笑しながら、手袋を指先までしっかりとはめた。
それを確認したルイスは、満足そうに頷いた。
「さて、遅くなったな。部屋まで送ろう。」
「送らなくていいよ。王城の中だし、一人で歩ける。」
◆◆◆◆◆ルイスの背中が廊下の向こうへと消えていくのを見届けた遥は、そっと息をついた。――コナリーには指輪のことを話せない。ルイスにそう忠告されたばかりで、胸の奥に得体の知れない重たさが沈み込んでいた。それでも、目の前にいるコナリーの姿を見た瞬間、その迷いは一時的にかき消された。「コナリー。」「お帰りなさい、遥。」コナリーの声は温かくて、遥は思わず笑みを浮かべた。「いつから待っていたの?」「そう待ってはいません。」コナリーは穏やかに微笑んだ。その表情は変わらず優しく、遥の心をほっとさせる。――けれど。コナリーの視線がふと遥の手元へと向かう。「それよりも……その手袋は?」「……!」予想していた質問だが、遥は思わず左手を握りしめ身構える。「火傷をしたんだ。」できるだけ平静を装いながら答えたが、一瞬の間ができたことを、コナリーは見逃さなかった。「火傷……?」コナリーの表情が曇る。「傷を見せてください。治療はされましたか?薬は?」矢継ぎ早に問いかけるコナリーに、遥は苦笑しながら手を振った。「大したことないって。すぐ治るさ。」「ですが――」
◆◆◆◆◆コナリーは、遥の向かいに座りながら静かに紅茶を見つめていた。目の前には、いつも通りの遥がいる。だが、どこか遠くなったような気がしてならない。――指輪のことを話してくれないのか、遥。契約を交わしていたときは、互いの痛みを感じ、まるで体が重なるような感覚さえあったのに。それが今は、まるで目の前に見えているのに手が届かないような、そんなもどかしさがあった。遥が自分から離れていく。その現実を突きつけられるたび、コナリーの胸は締めつけられるようだった。(私は……遥の何なのだろうか。)聖女と契約した騎士――かつてはそうだった。だが今は、ただ王国の騎士として彼を守るだけの存在になってしまったのだろうか。その答えを探すように、彼は別の話題を振ることにした。「……今日、王城内でハリーと会いました。」「ハリー?」遥はカップを口に運びながら、小首を傾げる。「魔法使いの?」「ええ。」コナリーは頷く。「彼は契約聖女の夏美と婚約したそうです。」「えっ……!」遥は目を丸くした。「ハリーと夏美が!? 婚約?」「はい。魔王討伐を終えた後も二人は交流を深め、先日、ハリーが求婚し、受け入れられたとのことでした。」
◆◆◆◆◆「私は本気です。」コナリーの言葉が静かに響いた。遥は思い切り紅茶を噴き出し、咳き込みながらコナリーを見つめる。「お、お前……何言ってんの?」慌てて袖で口元を拭いながら、遥は混乱したまま言葉を探した。「だって、お前、俺が女でも男でも関係ないって……そりゃ、そういう考えの人もいるだろうけどさ。冗談だろ?」「冗談ではありません。」コナリーはまっすぐ遥を見つめ、静かに答えた。「私は、遥がどのような姿であろうとも、貴方を大切に思っています。」「……っ」遥は言葉に詰まる。普段と変わらぬ静かな口調。けれど、その言葉に宿る真剣さが、遥の胸を妙にざわつかせる。冗談なんかではない。コナリーは本気でそう言っている。曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、コナリーの表情を見て、それができる雰囲気ではないことを悟る。「……いや、でも、俺は男だし?」「それが何か問題ですか?」「えっ……」コナリーはわずかに首を傾げる。「貴方が女性ならば婚約する可能性があった、と貴方は言いましたね。」「あ、あれは冗談で……」「貴方が女性だったら婚約を考えたのですか?」「
◆◆◆◆◆部屋に、静かな沈黙が落ちた。紅茶の香りだけが微かに漂う空間で、遥は冷めたカップを見つめたまま思考を巡らせる。コナリーの言葉を否定したのは自分だった。それなのに、彼が自分から離れていくのではないかと、不安に駆られている。(……何を考えてるんだ、俺。)遥は内心で自分を叱咤した。自分が答えを出したのに、コナリーの気持ちが遠のくことに怯えるなんて、都合が良すぎる。けれど、さっきのコナリーの表情を思い出すと、胸の奥が冷たくなった。(……なんで、そんな顔するんだよ。)普段と変わらぬ穏やかな表情。それなのに、その奥には何かを押し殺したような、冷えた影が見えた気がした。遥が「俺より大事な人ができたら」と言ったとき、コナリーの瞳がわずかに揺れた。けれど、彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。それが、妙に引っかかった。(なんか……このまま距離が開いていく気がする。)無性に焦りを覚えた遥は、何か話題を変えようと口を開いた。「なあ、ハリーと夏美に何かプレゼントを贈ろうと思うんだけど。」不意に投げかけた言葉に、コナリーがわずかに眉を上げた。「プレゼント、ですか?」「ああ。婚約のお祝いにさ。」遥は、努めて軽い調子を装いながら言った。
◆◆◆◆◆朝の光が窓から差し込み、遥の部屋を静かに照らしていた。ぼんやりと目を覚ました遥は、ぼんやりと天井を見上げながら、昨夜の出来事を思い出す。左手を持ち上げると、薬指に嵌まったままの赤い指輪が目に入った。「……やっぱり、外れないか。」小さく息を吐き、指輪をじっと見つめる。試しに引っ張ってみるが、びくともしない。(どうするかな……このまま放っておいていいわけないし、ルイスと対策を考えないと……)そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。「遥、起きているか?」ルイスの声だった。「起きてる。今開けるよ。」遥は素早く寝台から降り、扉を開ける。しかし、その瞬間――「……手袋を忘れているな。」ルイスが低く指摘する。遥は一瞬きょとんとした後、慌てて左手を隠した。「えっ、あ、しまった……!」昨夜、ルイスから“指輪を隠すために手袋を常に着用するように”と厳しく言われていたことを思い出す。「ちょ、待って、取りに――」言い終わる前に、ルイスの手が伸び、遥の腕を軽く引いた。「いい、こっちに来い。」驚く間もなく引き寄せられ、思わずルイスの胸元にぶつかる。「お、おい!」「お前がまた忘れると思
◆◆◆◆◆30代後半の疲れ気味なサラリーマン、山下遥は、目の前の光景を呆然と見つめていた。何がどうなってこうなったのか――理解はしている。だが、納得は到底できない。遥は、数人の女子とともに異世界へと召喚された。しかも、「聖女」 という肩書きを与えられ、王国の命運を左右する魔王討伐に関わることになっている。召喚された場所は、乙女ゲーム『☆聖女は痛みを引き受けます☆』の世界。遥は、このゲームをプレイ済みだった。乙女ゲームと銘打たれているが、その実態は RPG部分は妙に作り込まれていて、まるで作業ゲーのようにアイテムを集めなければならない。敵の魔王は圧倒的に強いが、特定のアイテムを全て揃えれば簡単に倒せる仕様になっている。問題は、その アイテム収集に膨大な時間がかかる ことだった。情報を集め、ダンジョンを探索し、一つずつ揃えていかなければならない。まるで作業ゲーのようなプレイ感 で、ゲーム部分だけ見れば妙に完成度が高かった。だが、ここまでがピークだった。魔王討伐を終えると、ようやく恋愛ゲームが始まるのだが――肝心の恋愛部分は手抜きで、頑張った報酬がしょぼい。どのルートを選んでも、似たような展開で、最後には必ずハッピーエンド。ライバルとの駆け引きもなければ、バッドエンドもない。攻略対象ごとの個性は薄く、スチルはやる気のない塗り絵のようなクオリティ。結果、ゲームとしては 「クソゲー扱いされている」 というわけだ。遥はゲームをクリアした経験があるからこそ、この世界のことを知り尽くしていた。そして何よりも――「コナリー・オブライエンとは絶対に契約したくない」これだけは、遥が強く望んでいたことだった。聖女の役目は、契約相手の傷の痛みを共有し、離れた場所から癒やすこと。そのため、契約相手の選択は 「いかに安全な相手を選ぶか」 にかかっていた。聖女たちは召喚された後、教会に閉じ込められ、「聖女の訓練」 を受けることになった。その中で、契約する騎士や王族たちの特徴を教えられ、彼らの戦闘スタイルや役割について学ぶ時間が設けられていた。そして、聖女たちは当然のごとく、最も安全な相手を選ぶよう指導された。王子や魔法使いといった 戦闘にあまり関わらない攻略対象 が人気となり、聖女たちはこぞって彼らを選んでいった。そして、教会の関係者が
◆◆◆◆◆「なるほど、確かに痛みは共有されているようですね」遥が地面を転げ回っている中、コナリーは冷静に腕の傷を眺めていた。自らの剣で斬った傷口は深く、鮮血が甲冑を濡らしている。だが、痛みの共有者である遥のほうが、よほど大袈裟に苦しんでいた。「いやいやいやいや……ッ! 何してくれてんだお前!!」遥は痛みに顔を歪めながら、コナリーを見上げた。「契約の確認です。聖女の能力が問題なく機能するか、試さねばなりませんから」コナリーは当然のことのように言った。「試すなら、もっと軽いやつでやれよ!! なに本気で腕切ってんだよ!!」「軽い傷では、十分な確認ができないでしょう?」「できるわ!! せめて、ちょっと指でつねるとかにしろ!!」遥は呻きながら自分の腕を見た。傷自体はコナリーのものなのに、遥の腕にもまるで同じ傷があるかのように痛みが走っている。皮膚が裂け、血が流れる感覚まで伝わってくるのは、何かの拷問かと思うほどだった。――これ、無理じゃね?遥は絶望的な気持ちになった。これから魔王討伐に向かうのに、契約相手がこんな無茶をする騎士で大丈夫なのか。いや、そもそも こっちのほうが耐えられない。「はぁ、はぁ……! くそ……!」遥は痛みを抑え込もうとしながら、なんとか冷静になろうとした。だが、ひとつだけ確かなことがある。このままでは 戦闘のたびに死にかける。「……とりあえず、早く回復魔法を使わないと」遥は必死に意識を集中させ、聖女としての能力を発動させようとした。契約の説明では、聖女は 「契約相手の傷を回復できる」 ということになっている。「癒しの力よ……!」目を閉じ、契約による神聖な力を呼び起こす。遥の手が微かに温かく光り、コナリーの傷口を包み込んだ。じわじわ……「……遅いですね」コナリーが腕を動かしながら、じっと傷の治りを見つめる。「いや、待て! ちゃんと治ってるだろ!」「ええ、治っていますが……予想よりずいぶん遅い。」コナリーは傷口を確認しながら、ほんの少しがっかりしたような表情 を見せた。「この速度では、戦闘中に負った傷を即座に回復するのは難しいですね……」「いやいやいや、贅沢言うなよ!? 俺、今回初めて回復魔法使ったんだけど!?」「ふむ……」コナリーはしばらく考え込んだ後、遥をじっと見つめた。「では
◆◆◆◆◆「……おかしいだろ、これ」遥は荒い息をつきながら、神官たちを睨みつけた。聖女として召喚されてから、痛みの共有 という過酷な契約に苦しめられている。コナリーの無茶な「契約確認」と称した自傷行為によって、遥は何度も地獄の痛みを味わってきた。だが、ふと周囲を見渡せば――他の聖女たちは優雅に、攻略対象たちとイチャイチャしていた。「これ……おかしくね?」遥は現実を直視し、さらに怒りが込み上げてきた。他の聖女たちは、王子や魔法使いたちと楽しげに談笑しながら、「痛みの共有」の確認を行っていた。方法は、せいぜい肌を摘む程度。「大丈夫? 痛くなかった?」「うふふ、こんなの全然平気ですよ♪」「君の痛みを僕も感じられるなんて、なんだか特別な気がするね」まるで恋愛イベントのような雰囲気だ。微笑み合う聖女と攻略対象たち。そこには痛みも苦痛もない。ただただ、甘い空気 だけが流れていた。一方――遥は 地面を転げ回りながら、悶絶している。「……どう考えても、おかしいだろこの世界!!」ーーこのままでは死ぬ!「おい、神官!!」遥は神官の一人を引き止め、思い切り詰め寄った。「何故、俺だけこんなに痛い目に遭ってんだ!? 他の聖女たちは、肌を摘む程度で終わってるじゃねえか!!」神官は冷静な表情を崩さず、遥を見つめた。「山下様、契約相手に合わせるのが聖女の務めです。」「……は?」「コナリー様は戦場で数々の激戦をくぐり抜けるお方。そのため、痛みの共有においても、それに見合う確認が必要なのです」「いやいや、他の聖女たちは王子とか魔法使いとかと契約してるから軽傷で済んでるだけだろ!? なんで俺だけ全力の痛みテストしてんだよ!?」「それはコナリー様が戦場に立つ方だからです」「だから、そういう問題じゃねえんだよ!!」遥の抗議もむなしく、神官たちは一切取り合わない。要するに 「契約相手に合わせろ」 という一点張りだった。遥の契約相手はコナリー・オブライエン。王国最強の騎士であり、最前線で戦う 「戦闘狂」 である。つまり、聖女として彼を支える以上、遥も 「それに耐えろ」 というわけだ。「……クソが……!!」遥は歯ぎしりしながら、別の方法を考えた。「……待てよ」遥は、ふと ゲームの設定 を思い出した。『☆聖女は痛みを引き受けます☆』で
◆◆◆◆◆朝の光が窓から差し込み、遥の部屋を静かに照らしていた。ぼんやりと目を覚ました遥は、ぼんやりと天井を見上げながら、昨夜の出来事を思い出す。左手を持ち上げると、薬指に嵌まったままの赤い指輪が目に入った。「……やっぱり、外れないか。」小さく息を吐き、指輪をじっと見つめる。試しに引っ張ってみるが、びくともしない。(どうするかな……このまま放っておいていいわけないし、ルイスと対策を考えないと……)そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。「遥、起きているか?」ルイスの声だった。「起きてる。今開けるよ。」遥は素早く寝台から降り、扉を開ける。しかし、その瞬間――「……手袋を忘れているな。」ルイスが低く指摘する。遥は一瞬きょとんとした後、慌てて左手を隠した。「えっ、あ、しまった……!」昨夜、ルイスから“指輪を隠すために手袋を常に着用するように”と厳しく言われていたことを思い出す。「ちょ、待って、取りに――」言い終わる前に、ルイスの手が伸び、遥の腕を軽く引いた。「いい、こっちに来い。」驚く間もなく引き寄せられ、思わずルイスの胸元にぶつかる。「お、おい!」「お前がまた忘れると思
◆◆◆◆◆部屋に、静かな沈黙が落ちた。紅茶の香りだけが微かに漂う空間で、遥は冷めたカップを見つめたまま思考を巡らせる。コナリーの言葉を否定したのは自分だった。それなのに、彼が自分から離れていくのではないかと、不安に駆られている。(……何を考えてるんだ、俺。)遥は内心で自分を叱咤した。自分が答えを出したのに、コナリーの気持ちが遠のくことに怯えるなんて、都合が良すぎる。けれど、さっきのコナリーの表情を思い出すと、胸の奥が冷たくなった。(……なんで、そんな顔するんだよ。)普段と変わらぬ穏やかな表情。それなのに、その奥には何かを押し殺したような、冷えた影が見えた気がした。遥が「俺より大事な人ができたら」と言ったとき、コナリーの瞳がわずかに揺れた。けれど、彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。それが、妙に引っかかった。(なんか……このまま距離が開いていく気がする。)無性に焦りを覚えた遥は、何か話題を変えようと口を開いた。「なあ、ハリーと夏美に何かプレゼントを贈ろうと思うんだけど。」不意に投げかけた言葉に、コナリーがわずかに眉を上げた。「プレゼント、ですか?」「ああ。婚約のお祝いにさ。」遥は、努めて軽い調子を装いながら言った。
◆◆◆◆◆「私は本気です。」コナリーの言葉が静かに響いた。遥は思い切り紅茶を噴き出し、咳き込みながらコナリーを見つめる。「お、お前……何言ってんの?」慌てて袖で口元を拭いながら、遥は混乱したまま言葉を探した。「だって、お前、俺が女でも男でも関係ないって……そりゃ、そういう考えの人もいるだろうけどさ。冗談だろ?」「冗談ではありません。」コナリーはまっすぐ遥を見つめ、静かに答えた。「私は、遥がどのような姿であろうとも、貴方を大切に思っています。」「……っ」遥は言葉に詰まる。普段と変わらぬ静かな口調。けれど、その言葉に宿る真剣さが、遥の胸を妙にざわつかせる。冗談なんかではない。コナリーは本気でそう言っている。曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、コナリーの表情を見て、それができる雰囲気ではないことを悟る。「……いや、でも、俺は男だし?」「それが何か問題ですか?」「えっ……」コナリーはわずかに首を傾げる。「貴方が女性ならば婚約する可能性があった、と貴方は言いましたね。」「あ、あれは冗談で……」「貴方が女性だったら婚約を考えたのですか?」「
◆◆◆◆◆コナリーは、遥の向かいに座りながら静かに紅茶を見つめていた。目の前には、いつも通りの遥がいる。だが、どこか遠くなったような気がしてならない。――指輪のことを話してくれないのか、遥。契約を交わしていたときは、互いの痛みを感じ、まるで体が重なるような感覚さえあったのに。それが今は、まるで目の前に見えているのに手が届かないような、そんなもどかしさがあった。遥が自分から離れていく。その現実を突きつけられるたび、コナリーの胸は締めつけられるようだった。(私は……遥の何なのだろうか。)聖女と契約した騎士――かつてはそうだった。だが今は、ただ王国の騎士として彼を守るだけの存在になってしまったのだろうか。その答えを探すように、彼は別の話題を振ることにした。「……今日、王城内でハリーと会いました。」「ハリー?」遥はカップを口に運びながら、小首を傾げる。「魔法使いの?」「ええ。」コナリーは頷く。「彼は契約聖女の夏美と婚約したそうです。」「えっ……!」遥は目を丸くした。「ハリーと夏美が!? 婚約?」「はい。魔王討伐を終えた後も二人は交流を深め、先日、ハリーが求婚し、受け入れられたとのことでした。」
◆◆◆◆◆ルイスの背中が廊下の向こうへと消えていくのを見届けた遥は、そっと息をついた。――コナリーには指輪のことを話せない。ルイスにそう忠告されたばかりで、胸の奥に得体の知れない重たさが沈み込んでいた。それでも、目の前にいるコナリーの姿を見た瞬間、その迷いは一時的にかき消された。「コナリー。」「お帰りなさい、遥。」コナリーの声は温かくて、遥は思わず笑みを浮かべた。「いつから待っていたの?」「そう待ってはいません。」コナリーは穏やかに微笑んだ。その表情は変わらず優しく、遥の心をほっとさせる。――けれど。コナリーの視線がふと遥の手元へと向かう。「それよりも……その手袋は?」「……!」予想していた質問だが、遥は思わず左手を握りしめ身構える。「火傷をしたんだ。」できるだけ平静を装いながら答えたが、一瞬の間ができたことを、コナリーは見逃さなかった。「火傷……?」コナリーの表情が曇る。「傷を見せてください。治療はされましたか?薬は?」矢継ぎ早に問いかけるコナリーに、遥は苦笑しながら手を振った。「大したことないって。すぐ治るさ。」「ですが――」
◆◆◆◆◆ルイスの部屋を出る前、遥は改めて自分の左手を見下ろした。その指には、未だ外れない赤い宝石の指輪が光っている。「……これ、やっぱり目立つな」遥が小さくぼやくと、ルイスが手袋を差し出した。「そのための手袋だ。今からは常に着けておくようにしろ。」遥は手袋を受け取りながら、少し困惑する。「手袋も悪目立つする気がする。」ルイスは微かに笑みを浮かべながら言った。「王家の紋章が刻まれた手袋だ。不審に思っても、無理に外そうとする者はいない」「まあ、そうだろうけど…」遥は渋々ながらも、言われた通りに手袋をはめる。指輪が見えなくなったことに、少しだけ安心する気持ちもあった。だが、元々はルイスの手袋のため、遥の手のサイズには合わずブカブカしている。「ブカブカしてる」「遥のサイズにあった手袋を用意する。それまでは我慢してくれ。」「分かった……手袋を嵌めている理由を尋ねられたら?」「手の火傷を隠すためだと言えばいい。」「……火傷ねぇ。」遥は苦笑しながら、手袋を指先までしっかりとはめた。それを確認したルイスは、満足そうに頷いた。「さて、遅くなったな。部屋まで送ろう。」「送らなくていいよ。王城の中だし、一人で歩ける。」
◆◆◆◆◆「魔王の小指!? 冗談だろ?」遥は驚愕し、反射的に左薬指の指輪を外そうとした。しかし、指輪は外れる気配すらなく、まるで遥の指の一部になったかのように馴染んでいる。「私も冗談でこんな話をするほど暇ではない。」ルイスは腕を組みながら、低い声で続ける。「王は、これはただの宝石ではなく、魔王の小指が封じられている指輪だと言った。そして、“王都にある方が危険”だとも。」「王都にある方が……危険?」遥は眉をひそめた。「そうだ。それゆえに、王はこの指輪を魔王領へ戻すよう私に命じた。」「戻すって……魔王領に放置しろってことか?」「そういうことだな。」遥は言葉を失った。――魔王を封じた指輪を魔王領に放置するのは危険だ。直感的にそう感じた。しかし、王が決めたのだから何かしら理由があるのだろう。そう自分を納得させようとしたが――「待てよ、それじゃあ――」遥は自分の指に嵌まった指輪を見つめる。「俺、このまま魔王領まで指輪ごと運ばれるってことか?」「それも選択肢の一つだが……問題は、指輪を外せないことだ。」ルイスは指を組みながら、じっと遥を見つめた。「遥、何度やっても指輪は外れないのか?」「……ああ。ダメだ、びくともしない。」遥は指輪をつまみ、捻ったり引っ張ったりしてみ
◆◆◆◆◆庭園を抜け、王城の内部へと足を踏み入れると、そこには冷たい石造りの廊下が続いていた。「さあ、こちらに。」ルイスの声が静かに響く。遥は戸惑いながらも、彼の後に続いて王城の廊下を歩いた。王族の居住区であるこのエリアは、他の区画とは明らかに違う。絢爛たる装飾が施された柱や壁、天井には精巧な彫刻が施され、随所に王家の威厳を示す紋章が刻まれている。(すげぇ…やっぱ王族の居住区は豪華だな)遥は緊張しながらも、好奇心が隠せずに周囲を伺う。城内は静まり返っていたが、それでも衛兵たちが定間隔で配置されており、遥はその威圧感に思わず身を引き締める。やがて、ルイスが歩を止めると、目の前には重厚な扉がそびえていた。扉の両脇には、王家直属の近衛兵が立っている。二人とも鋭い視線でルイスと遥を見つめていたが、ルイスが一歩前に進むと、すぐに敬礼をした。「殿下、お帰りなさいませ。」「ご苦労。」ルイスは短く答えると、静かに続ける。「この者と話がある。しばらくの間、部屋の外には誰も近づけるな。」「承知いたしました。」近衛兵たちは頷き、一歩後ろへ下がると、扉の前から移動した。ルイスは扉に手をかけ、軽く押し開く。「さあ、入りなさい。」◇◇◇ルイスの自室は、王族らしい品格を感じさせる空間だった。「お邪魔
◆◆◆◆◆「遥、どうかしましたか?」コナリーの落ち着いた声が響き、遥とルイスの肩がわずかに跳ねた。遥は一瞬コナリーの方を見たが、すぐに視線を逸らしてしまう。その態度にコナリーはわずかに眉を寄せる。そして、コナリーがさらに一歩近づいたその瞬間――ルイスが静かに遥の肩を引き寄せ、耳元で囁いた。「私に話を合わせてください、遥。」驚く遥だったが、ルイスの表情を見て、意味を察する。――今は本当のことを話すわけにはいかない、と。わずかに戸惑いながらも、遥は小さく頷いた。◇◇◇「遥、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」コナリーは心配そうに尋ねる。「……いや、大丈夫だよ。」視線を彷徨わせながら答える遥だったが、コナリーは疑念を拭えなかった。何かがおかしい――そう感じたのだ。そして、ふと遥の手元に視線を落とす。「――その指輪は?」コナリーの低い声が響く。遥は思わず左手を引っ込めたが、コナリーの視線は鋭く、逃がさなかった。彼の指輪を見つめる瞳には、明らかな動揺が浮かんでいた。「ルイス様……その指輪、遥に贈られたものなのですか?」沈黙が流れる。その一瞬の間に、遥の鼓動は早鐘のように鳴った。どうする? 何と言えばいい?